コロナ前とコロナ後【雑記】

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今の状況を10年に一度、あるいは100年に一度と言う人もいます。

コロナ前とコロナ後では人々の価値観が変わるのは間違いないと思う。

「コロナ後」がいつくるのか、いまはまだ不透明で、しばらくはコロナと一緒に過ごす日々が続くかもしれません。

その日々の中で、個々の価値観、個々の立ち位置というものがどんどん浮き彫りになっていく気がします。

コロナ前で当たり前であったことは、一瞬にして崩れ去りました。

以前、震災前と震災後で語られたことが、10年経とうとしている今、また同じくして起こっています。

あの時も当たり前はもう当たり前ではないという事を強く突き付けられました。

それから約10年後、人々の平穏な生活と仕事を奪ったのは、ロボットでもAIでもなく目に見えないウイルスでした。

自然の脅威の前で、またしても強烈な問いを突き付けられている気がします。

テレワークが少しずつ広がり、仕事をする場所にこだわりを持つ必要性が無くなったことに気づき始めた人もいます。

都心に行けば仕事も情報も娯楽もあふれているという期待から、高い生活コストをかけてまで狭い間取りの都心に住む。

それがコロナ後の世界でも続くのかでしょうか。

都市に一極集中することのリスクも今回見えた気がします。

それと同時に都市だから耐えられていると思える側面も見えました。

財政力の違い、医療体制の違い、社会インフラの違い。

これは地方からしたらリスクかもしれません。

それでも、都市の一極集中に対して疑問を抱く人が増えるのは間違いないと思う。

場所を選ばない仕事であれば、地方に住み生活をコストを下げて、都心にいる人たちと同じ単価の仕事をする。

遊びたくなったり、お客様と会いたくなったら、都心にふと出かける。

法律の話は抜きにして、幸いにも税理士という仕事はそれが実現可能な仕事であると思う。

知識やスキル、経験を提供できる専門性を持った仕事はこの先も生き残っていくと思う。

単なる知識やスキルだけであればAIがより正確にやってくれるかもしれない。

でも、血の通った生の経験をAIが再現して伝えることはできるのだろうか。

その人の経験は、その人にしか語ることはできないし、なにより人の心に届かないと思う。

いつの時代も血の通ったものに人は魅かれるのだと思う。

この考え自体が古臭いと言われればそれまでですが。

この世界的な危機の中において、今まで見えてこなかったことが、様々な場面でまざまざと見せつけられているように思います。

コロナ後の世界をどう生きるのか。

しばらくコロナと共に生きるしかない日々の中で、一人一人が考えざるを得ない状況になった気がします。

■編集後記

ネタがないので日記になりました。3月決算に怯える日々。