どんな終わり方をするのか。
始まった瞬間、いつか終わりがくる
始まりがあれば終わりがある。
これは私が常から意識していることです。
というより、意識してしまうという言い方の方が合っています。
物心ついた時から、なにかが始まると終わりの事が頭をよぎってしまう癖がありました。
・楽しい時間でもいつか終わってしまうさみしさ
・苦しい時間があっても、いつか終わるのだから我慢しよう
・誰かと出会うという事はいつかは別れがあるという事
・生まれるという事は死ぬという事
「永遠」というものがない限り、あらゆることに終わりがあると思うとなんとなく虚しさを覚えてしまう癖が無意識のうちにあるようです。
そういう性格なので仕方ないです。
独立を考えるようになって、人生に対する考え方もだいぶ変わってきたのですが、
「どういう終わり方を迎えるのか」
という事はとても大事な事だなとより強く思うようになりました。
終わりの瞬間にこそ、始まりから終わりまでどう過ごしたか、その人・組織とどんな関係性を築いてきたか、今までの想いが集約されるのだなと。
だからこそ、「今」をどう過ごすか、という事にいきつきます。
今の積み重ねの連続が、終わりの瞬間に集約されるのだと思います。
もうすぐ今の職場を去りますが、幸せな事に感謝の気持ちをもって次に進む事ができます。
自分にとっては良い環境で仕事をさせてもらい色々経験することができ、幸いにも嫌になって辞めるという終わり方にはなりませんでした。
終わり方を大切にしたい。
そう思えるような関係や物事をなるべく多く積み重ねていけるような人生を送れたら、きっとすばらしいだろうなと感じます。
終わりはまた何かの始まりでもある
終わりというはまた何かの始まりでもあると思っています。
これからの私でいうとサラリーマン人生の終わりは、独立の人生の始まりでもあります。
そして、独立を終える時は、どんな状況でどんな事を思うのか。
組織を作るのか、またサラリーマンに戻るのか、死ぬ時なのか。
わかりませんが、先のことではあるけれど、そんなところにも少し思いを馳せつつ、先に進みます。
終わりと始まりを繰り返しながらの人生。
節目を大切にできる人間でいたいものです。
◼️編集後記
自宅兼事務所のレイアウトに頭を悩ませています
◼️一日一新
マクドナルドモバイルオーダー
◼️一日一曲
「君という花」ASIAN KUNG-FU GENERATION
フジロックでイントロが鳴った時、友だちのテンションがおかしくなったのを思い出します。