人生の体感スピードと残された時間

今日で32歳になりました。

年をまた一つ取って、「時間が過ぎる」ということを改めて感じています。

※ 2006年まではみどりの日。匿名はこれが由来です。

年々早くなる体感スピード

年を重ねるたびに、一年一年過ぎていくスピードが体感でどんどん速くなっているように感じています(私だけでしょうか)。

気が乗らないことがあったりすると一日はとても長く感じたりしますが、一か月、一年単位で振り返るとその過ぎていく速さに、わりと愕然とします。

2019年に何があったとか、2018年は何をしたとか、この出来事があったのは20○○年とか、この曲が売れたのは20○○年とか、感覚と全然ずれていることがあります…(体感というより、ただ記憶力がないだけか)。

この「年々体感スピードが速くなる現象」について学生の時友人が、「年齢を分母とすると、分母が増えていく(年齢が増える)と人生に占める一年の割合が減っていくから」と言っていたのを思い出します。

・10歳のうちの一年=1/10
・30歳のうちの一年=1/30

へーなるほどなと。

もしこのまま本当に体感スピードが年々早くなっていくのだとしたら、人生あっという間に過ぎていってしまうんだろうなとある意味危機感を強く感じます。

あっという間に40、50、60…になるなぁとひしひし思います。

そう考えると、なんとなくやり過ごしている暇などないのだなと思います。

残された時間がどのくらいなのかは誰にもわからない

時間が過ぎていく体感スピードが速くなるのを感じると、必然的にあとどのくらい人生が残されているのだろうと考えてしまいます。

日常の中だと実感がなかなかわかないのですが、いつか死は誰にも訪れます。

そしてその時がいつ訪れるのかは誰にもわかりません。

100歳まで生きるのか、80歳まで生きるのか、70なのか60なのか、ひょっとしたらそんなに生きられないかもしれないし、明日死ぬ可能性もゼロではないです。

人生何が起こるかわかりません。

そう考えると、一日一日を大切にできるだけ後悔のないように過ごさなければいけないとやはり思うわけです。

このことは普段から意識していないと、なんとなく日々過ごしているうちにどうしても埋もれてしまいがちです。

今のこのコロナ禍は、このことを改めて意識してみる機会だと捉えてもいいかもしれません。

もちろん極端に刹那的な考えしかしないという必要はないと思いますし、先の事もちゃんと考えていかなければなりません。

でも未来は、今この瞬間の積み重ねでしかないのだと思います。

いつ残された時間に終わりが来ても後悔しないように、終わりが来た時に悔いのない人生だったと言えるように生きたいものです。

まとめ

年を一つとった機会に、改めて人生という大きな時間の流れと、その流れの中の瞬間瞬間について考えてみました。

体感スピードはどんどん早くなっていくということ、残された時間、終わりがいつ来るかわからないということを今一度心にとめて過ごしていきます。

■編集後記

近所の川沿いや歩行者天国の通りを散歩しました。散歩したり、ランニングしたり、歩行者天国で子供たちと遊んでいる人が結構いました。